About Us
私たちについて
「昔からあるけど、中国芝浦電子ってどんな仕事をしているの?」とよく聞かれます。
ここでは、中国芝浦電子70年の歴史を紐解きながら、
それぞれの時代に展開してきた事業に対する思いと挑戦を紹介していきます。
創業期
1952年(昭和27年)
1977年(昭和52年)
教職からバイクショップ開業へ。
創業者 河村敬二の挑戦。
中国芝浦電子のはじまりは、バイクショップでした。創業者 河村敬二は、初代山口市立鴻南中学校校長を務めた教育者(その後当時は選挙で決めていた教育委員選挙に当選し、初代山口市教育委員会副委員長も務める)。その河村がある日突然、教職を離れることを家族に宣言。家族は猛反対したものの、頑固者の敬二は聞く耳を持たず、山口市熊野町に「河村モータース」をオープン。当時は、戦後の復興期で、手軽な移動手段としてバイクが大ヒット。敬二の予想は大当たりし、店は繁盛したそうです。その後のマイカーブームにも乗って、自動車販売や整備も手掛けるようになり、カーステレオや無線パーツを取り扱うように。昭和39年に、社名を山口パーツセンターに変更し、現在の会社所在地でもある山口市宝町に移転。アマチュア無線愛好家や電子工作好きの親子を中心に顧客を広げていきました。
昭和の戦後復興から高度成長期、
日本が勢いよく成長していった時代。
バイクや自動車の普及に
併せた事業展開で
会社も成長していきました。
創業期の出来事
1952年(昭和27年) | 河村敬二が河村モータースを創業 |
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1964年(昭和39年) | (有)山口パーツセンターに社名変更 2代目 河村和夫が社長に就任 |
1966年(昭和41年) | 現社長の河村利夫が河村家の次男として誕生 |
1955年(昭和30年)当時の河村モータース
山口パーツセンターオープン(1964年)
ミュージックシティ山口オープン(1970年)
山口パーツセンター新築工事(1975年)
山口パーツセンター完成(現在の中国芝浦電子ビル)(1976年)
創業期の事業・商材
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オートバイ
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カーステレオ
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自動車
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自動車整備
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電子部品
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アマチュア無線
転換・拡大期
1978年(昭和53年)
1988年(昭和63年)
個人顧客から法人顧客へと大転換。
東芝ブランドを強みに、
事業分野を拡大。
1978年(昭和53年)会社は大きな転換を図りました。大手電機メーカー「東芝」のビジネスパートナーとなったことをきっかけに、2代目社長の河村和夫(1964年〜2010年まで社長職)は、社名を中国芝浦電子株式会社へ組織社名変更。これまでの個人客から法人客へとビジネスの舵を切ります。以降、中国芝浦電子は、東芝ブランドを強みに事業を大きく拡大していきました。特にこの時代は、無線機器の需要が高く、タクシー無線・市町村防災無線をはじめ、周南エリアの大手企業工場内の無線機器などの受注が増加。機器の販売だけではなく設置工事まで手掛けることで、顧客が広がったため、1983年(昭和58年)には周南営業所を開設しました。
また、行政機関からの受注も増加。当時、画期的な通信機器として誕生したFAXは、大幅に業務を軽減できる機器として普及がはじまり、1980年代半ばには山口市や光市に初めてFAXが導入されました。山口市で導入された際には盛大に開通セレモニーまで開かれたそうです。
無線機器の販売や設置を軸とした
ビジネスで顧客を急速に拡大。
現在の中国芝浦電子の
基盤を作った時期です。
転換・拡大期の出来事
1978年(昭和53年) | 中国芝浦電子株式会社に組織社名変更 |
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1983年(昭和58年) | 周南営業所開設 2代目 河村和夫が社長に就任 |
1989年(平成元年) | 広島営業所開設 |
徳山営業所(現 周南営業所)開設(1983年)
無線機修理(1985年)
旧広島営業所(1989年)
転換・拡大期の事業・商材
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業務用無線
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FAX
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消防無線
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防災無線システム
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工場向け通信設備
成長期
1989年(平成元年)
2019年(平成31年)
ITが急速に進化した平成の時代。
情報通信事業を軸に
中国芝浦電子も大きく成長。
時代はアナログからデジタルへ。1995年(平成6年)には、セルラースポットをオープンし、携帯電話の販売や修理を開始。また、行政機関や学校・民間企業を対象にパソコンの販売やLAN構築も手掛けていきました。1999年(平成11年)には、県外でエンジニアをしていた33歳の河村利夫(現社長)がUターン。主に、病院向けに医療画像をPCに表示する画像システムの営業を担当し、事業を医療分野へと拡大します。当時の河村は、「ただ商品を販売するだけでは、価格競争に巻き込まれる。システムや工事・役務もできるという技術力の付加価値が重要」と強く考え、2010年(平成22年)の社長就任以降も経営の軸として捉えています。技術力の向上に力を入れた結果、2010年には現東芝エネルギーシステムズから純水素燃料電池、および中国地区のエネファームのメンテナンス、2017年には東芝テリーからクレーンなどをリモコン操作する無線操縦装置などの修理・メンテナンス業務の指名を受けて西日本エリアを担当することとなります。(それに伴い西日本サービスセンターを開設)そのほか、防災無線システムや放送用無線設備設置調整、無線LANやサーバー、ネットワーク構築など顧客の様々なニーズに対して、高い技術力を武器に柔軟に対応することで、顧客の信頼を得ていきました。
商品の販売だけでなく、
システム構築や工事、
メンテナンスも。
技術力という付加価値を
会社の強みに。
成長期の出来事
1999年(平成11年) | 河村利夫(現社長)が入社 |
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2010年(平成22年) | 河村利夫が3代目社長に就任 |
2015年(平成27年) | 東京営業所開設 |
2017年(平成29年) | 西日本サービスセンター(東芝テリー認定)開設 |
携帯ショップを併設していた本社ビル(2000年)
無線中継局(2000年)
携帯電話修理事業(2005年)
成長期の事業
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PC・OA機器
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医療画像ネット
ワークシステム -
エネファーム
メンテナンス -
放送局・中継局
組立設置調整 -
電気・
電気通信工事
再創業期
2019年(令和元年)
現在
「Re-Born」
100年企業を目指して、
新たな挑戦を。
事業領域にとらわれず、
顧客の課題を
独自のアイデアでカタチに。
2020年、世界中を巻き込みパンデミックとなったコロナウィルスは、私たちの生活スタイルそのものを大きく変えました。Withコロナと呼ばれる令和時代は、働き方や暮らし方、コミュニケーションの取り方など、これまでの常識にとらわれない対応力が必要です。特に、情報通信業界は進化のスピードがすさまじく、「5年続くものはない」と言われています。5年後の未来に会社が何を軸としているかは誰にも分かりません。ただ言えることは、「お客様のニーズに耳を傾けて必要とされるサービスを提供し続ける」ことです。これは、バイクショップから始まった70年の中国芝浦電子の歴史において、いつの時代も変わらず受け継がれてきたDNAとも言えます。そうした「時代に対応するDNA」は、近年、形となって現れています。例えば、工場用入退門システムはよりスムーズでスマートな入退管理を提供し生産性の向上に寄与しています。また、市役所内基幹LANの整備を行い、行政DX推進の一翼をになっています。さらに園児のバス置き去り事件を機に注目された置き去り防止システムは、県内の幼稚園に導入され安心と安全を提供しています。これからも、創業期の想いを胸に、時代に求められる課題解決型企業として成長を続けていきます。
時代のニーズに合った事業展開を行い
可変性のある柔軟な会社に。
再創業期の出来事
2020年(令和2年) | コーポレートロゴ リニューアル |
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2023年(令和5年) | SDGs宣言 |
2023年(令和5年) | 山口南出張所開設 |
コーポレートロゴ リニューアル(2020年)
基幹LAN整備(2021年)
DX関連システム(2022年)
再創業期の事業・商材
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クラウドサービス
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DX関連システム
Job Description